20年間ありがとう新井さん 「新井貴浩」特集

10月29日現在、広島とホークスの日本シリーズは初戦から延長12回引き分けの死闘を繰り広げているなど全国で盛り上がりを見せている。

しかし盛り上がりの陰には寂しさもある。

今シーズン限りで20年のプロ野球選手人生に幕を下ろす新井貴浩のプレー見れるのはこの日本シリーズが最後である。

「新井さん」の愛称でファンからの人気を擁し、後輩の菊池からは「お兄ちゃん」と選手からもファンからも愛されている。

しかし決して新井貴浩は天才的な才能あったわけではなく、逸材と言われる選手でもなかった。

そんなこの日本シリーズの主役ともいえる新井さんについてもっと日本シリーズで新井さんを応援したくなるようにどんなプロ野球人生だったのかを振り返ってみることにしよう。

空に向かって打つ 大学時代~広島入団まで

 

甲子園出場なしで終わった高校卒業後に駒澤大学に進学する。

4年生の時に日米大学野球で打率5割を記録し、最後のリーグ戦では打点王とベストナインを獲得するなど大学時代通算成績は187打数45安打、打率.241、2本塁打、26打点と記録するもプロからの注目はいまいちだった。

しかしどうしてもプロ野球の世界に入りたかった新井は1998年のドラフト会議前に大学の先輩である野村謙二郎(当時32歳・広島で球団史上初の2億円プレーヤーとして活躍)の自宅を訪れ、素振りを見せるなどバッティングをアピールした。

そのおかげもありドラフトでは野村からの強い推薦で広島に6位で指名され念願のプロ野球選手になる。

しかし大学ではたった通算2本塁打、守備もあまり安定してるとはいえない評価であったために新井の入団には周囲が驚きを隠せなかった。

しかし新井自身はそんなことは気にせずに「空に向かって打つ!」と強い意気込みを口にした。

この言葉はあとあとに新井さんのプロ野球生活を象徴する言葉となる。

新井じゃなくて粗いだな 広島入団~2年目

念願のプロ入りを果たした新井さんに待っていたのは歓迎ではなく冷たい目線だった。

プロの目から見た新井の評価は決して高くなく、当時広島で活躍していた金本知憲選手などには「コネ入団もここまでくると清々しいな」、「契約金を逆に球団に払ったんじゃないか」などと冗談も言われていました。

また長打力に関しては非凡な才能がありながらもこと技術面に関してはとにかく粗さが目立ち、「新井じゃなくて『粗い』だな」と揶揄されることもあった。

しかし新井はそんな言葉にもめげずに猛練習に明け暮れた。

当時のヘッドコーチで大学の先輩でもある大下剛史に朝から晩までとにかく徹底的にしごかれた。

怪我をしたらそれまでの選手だったという昔ながらの考え方で新井は大下コーチと練習を繰り返した。

そして思いもよらない隠れた才能、怪我をしない「身体の頑丈さ」が新井にはあった。

当時の新井を知る人たちは「プロ入り後にここまで伸びた選手は後にも先にも新井だけだろうな」と今の新井は「練習」という努力の結晶の選手だと語る。

そんなひたむきな姿勢が評価されついに1軍の舞台へ立つ。

当時のスパルタ指導(最後の新井の送球に注目です笑)

プロ初打席 inナゴヤドーム

贔屓目に見てもあまり打てそうな構えではありませんね。

しかし1年目のこの年に大学通算2本塁打だった男は7本塁打を放つ。

さらに2年目には16本塁打を放つなど大器の片鱗をルーキーのころからのぞかせ「努力」が「結果」として実を結び始めます。

「生涯広島」から「辛いです」 3年目からFAまで

2001年には規定未到達ながらレギュラーに定着し124試合で打率.284 18本塁打 56打点と好成績を残すとその翌年には140試合フル出場を達成し規定到達で28本塁打を放つ。

さらにはプロ野球の祭典オールスターに出場するなどプロとしての階段を一つ昇った。

しかし順風満帆はいつまでも続かない。

2003年に阪神にFA移籍した金本知憲の後を継いで開幕から4番に座るも「4番の重責」というものだったのだろうか。

打撃不振に陥り助っ人外国人に4番を譲るなど打率.236 19本塁打と成績を落としてしまう。

それは翌年まで響き2004年も打率.263 10本塁打と下降曲線をたどっていく。

しかしこのオフに結婚、そして披露宴の席では当時の広島監督・山本造二に鼓舞され男として立ち上がらなければならない2005年シーズンを迎える。

新井は打撃スタイルを積極打法にスタイルチェンジさせホームランを量産し、打率.305 43本塁打で本塁打王を獲得するなど野球選手としてついに華を咲かせる。

オフには「一つのチームで選手生活を終えるのが理想」といわゆる「生涯広島」宣言をしてファンからの人気を獲得する。

その翌年の2006年には25本と本塁打は減るも100打点を達成する。

WBC日本代表に選出されるも出番はあまりなかった。

そして迎える2007年シーズン28本塁打102打点を挙げ、そして「粗い」と揶揄された守備でもリーグトップの守備機会で最多守備率を残す。

オリンピック予選では4番一塁として北京オリンピック出場に大きく貢献し打っても守ってもチームで欠かせない存在となった、はずだった。

この年のオフにFA権を取得すると「生涯広島」を謳っていたが「自分を厳しい環境に置きたい」とFA権を行使し阪神に移籍することを決断。

記者会見の席ではあの有名な「辛いです・・・カープが好きだから」と涙ながらに発言し、ファンは「泣くなら出ていくな」と怒りが収まらなかった。

移籍前最終年2007年ホームラン集

「辛いです」記者会見

ここまで記事を書いてきて感じるのが本当にエピソードが絶えない選手です。

長くなりそうなので前半はここで終わりますが、ここまでの過去を持つ選手は今のプロ野球球界にはいないのではないのでしょうか。

FAから阪神へそして広島復帰「もう一度空に向かって打とう」は後半の記事をご覧ください。(10月30日に更新します)

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